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走ることについて語る時に僕の語ること

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プロフィールにもあるように、ランニングが趣味の一つでもあります。

いつも決まった6-7kmのコースを、自分のペースで、ゆっくり、走る。


その時間は僕にとって、真剣に音楽を聴く、真剣に悩む、のどちらかになっています。 


いつからか家で音楽を真剣に聴く時間を持たなくなり、もっぱら通勤中か走る時に限られてきました。

特に全曲をマジメに聞かなかったアルバムなんかを走っている時に流していると、新しい発見があったり、つまみ食いしながら聴いてた事を後悔したり。 

そうなると割と極端で、一ヶ月間くらい同じアルバムばっかりを聴いたりします。 

ただ、走っている時に、いいなこれ!と思った曲でも、後で聴くとそうでもなかったり。たぶん心臓の鼓動とリズムが関わっているんだと思いますが、何だか不思議な話しです。 


また、真剣に考え事をしながら走る時は、音楽は流すものの、あまり聴いていません。

近くにせまった重要な仕事や、明日何を着ていくのか、持ち合わせの洋服でコレコレを組み合わせたらどうか、これからしたい事、それには現状何が欠けているのか、など考えて、たまにむしょうに自分や他人に腹を立てたりします。

これも走っている時だけで、平常時はあまりそういう事は起きません。

あと、お金の計算も、よくします。これは走っている時のほうが、うまい計画が立てられます。



このように、フィジカルを鍛えている時に、メンタルな部分の整理整頓をする事に、一種の安心感というか、日常の中の「とても大事な時間」になっています。 


でも、最近サボりがちです。

ことランニングにおいては、忙しいからできない、というのは言い訳で、僕なんかより何倍も忙しい人が朝早く起きて走っていたりします。

なので、サボっている、というのが正しくて、何かしら理由をつけている自分にそろそろ喝を入れ、また「とても大切な時間」の感覚を取り戻さなきゃいけないな、と思っています。


題名は村上春樹さんのエッセイからそのまま租借。

ただこれ、アメリカの作家、レイモンド・カーヴァーの「愛について語る時に我々の語ること」をひねった題名なんですよね。


レイモンド・カーヴァーも素敵な作家で、現実に起きる妙な感情の描写においては、彼の右に出る作家は今のところ僕は知りません。


話しがそれてしまったので、今回はこの辺で! 

長文読んで頂きありがとうございました!